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ちゃっちゃとやりたかったので、マスク分けにはSAIを使いました。
SAIは自動選択ツールと選択ペンが優秀ですよね。
苦手な人には苦痛でしかないマスク分けも、さくさく出来て快適です。
この辺で、線画の矛盾なんかも見えてくるので、直しています。
後はもう塗りですね。
またちまちま左端から塗っていこうと思います。
柿の木の天辺の実を残す風習について
お隣さんが柿を早々に収穫したのですが、天辺の実がひとつだけ残っています。
これ、地方によって呼び方は変わるようですが、「木守柿」というのが一般的でしょうか。
俳句の冬の季語にもなっています。
来年もまた沢山実が採れるおまじないとか、鳥たちの分だとか、色々と謂われはあるようですが、私は小さい頃、これは神様へのお供えものだと聞きました。
一番高いところの一番熟した実を神様にお供えして、また来年も柿がなりますように……ということで、おまじないですね。
だいたいは早々に鳥がつついて持って行っちゃうんですけど、それについては「鳥は神様の遣いやで」って教えられていて、子供心に「鳥すげー!!」と感銘を受け、今でも野鳥を見ると「ははぁ~」と敬う気持ちになります。
時々、日本人は無宗教だと言われますが、アニミズムや自然崇拝的な信仰は根にあることが多いですよね。
別にキリストを信じることだけが宗教じゃないよなーと思います。
一応カトリック育ちで、お祈りの言葉とか今でも微妙に覚えてはいるんですが、あんまりキリストに興味が無くて(失礼)それよりは土着信仰とかの方が面白くて、仏教やら神道やら色々と手を出し、気がつけば宗教観は完全にカオスになっていました。
まあ創作やる上ではそのくらい混沌としていた方がいいかなとも思いますが。
ともあれ、柿の木の天辺に残った実を見ると、何かこう、人間が、人間の力だけで生きてるわけではないということを、忘れてはいかんなと思わされます。
それをついばむ鳥たちのことや、来年また枝を伸ばす木々のこと、そうやって続いていく営みのことも、きちんと頭の片隅に置いておきたいです。
私達人間だって、自然の一部だということを、いつも忘れないでいたいですね。
なんて、ちょっと綺麗にまとめてみました。
ちなみに我が家の柿は、誰もちゃんと採らないので、おおかたほったらかしにされて天辺どころかあちこち実が残っています。
虫が入っちゃったせいもあるんですけども、まあこれはこれで……うん……。
見苦しいし、落ちて腐った柿の臭さときたら酷いものだけど……鳥さんが食べてくれるならいいかな……いいよね……(眼を逸らす)