低木(近景)を描いてみた

低木(近景) 「低木(近景)」 PhotoshopCS6 使用ブラシ:細部1

描き込むほどに分からなくなったので、「パッと見て何か分かればいいや」くらいのノリでやりました。
あまりこれをメインに持ってくるシーンも思いつきませんしね。
でも、もうちょい描けるようにはなっておこうと思いました。
葉っぱ類を避けてきたっていうのがよく分かってしまう。

今日はいまいち集中が乗らなくて、描いてる時にあちこち意識が飛んでしまいました。
なぜか、うんと昔のことを思い出したりとか。
小さい頃に見た景色がそのまま脳裏によみがえったりして、少し慌てました。
なんか色々と難しいことを考えながら子供をやってたなぁ。
我ながら哲学的な幼少期だったと思う。つまり、ややこしい子だったわけですが。

小さい頃、吊り橋が大好きで、その中でも瀬戸大橋がベストブリッジでした。
あのごちゃごちゃした構造を、画用紙一杯に、鉛筆でひたすら描く子供でした。
今思うと、工場萌えコンクリラブはすでにこの頃からあったのだなと。
今の私の趣味嗜好は、正当進化なんだなと思いました。

いつの頃からか、橋の絵を描かなくなって、風景を描くこともやめました。
私は小さい頃からずっと、影を描くことが好きで、風景や静物画も、影を多用した絵を描いていました。
明暗のコントラストが好きで、暗い影の中に一筋だけ通ってるような眩しい光を捉えるのが好きでした。
そんな調子なので、全体的に重く、陰鬱な絵が多かったんですよね。
「子供らしくない」とか、「明暗のバランスが逆だ」とか、「黒が多すぎる」とか言われて、なんか面白くなくなったというか、描くのが嫌になったんだと思います。
小学校の中学年か、高学年くらいのことです。

今は、思う存分影を描けるし、誰かに褒められるための絵じゃなくて、自分の描きたい絵を描けるので、とても楽しいです。
もしかしたら、橋の絵を必死に画用紙に描き殴っていた頃にも、私はこういうワクワク感の海を泳いでいたのかもしれません。
大きな橋が目の前に迫り来る、その巨大な人工物の存在感に圧倒されて敬服する、そんな幼い頃の純粋な感動が、今も私を工場やら廃墟やらコンクリやらに萌えさせているのかも。

なんかそういう、過去から今が1本に繋がるような、不思議な気持ちを抱きました。
こういう時、大人になってよかったなぁと思います。
色々なしがらみから、やっと解き放たれようとしているような、そんな感じです。

少なくとも、もう私は、赤やオレンジや黄色、派手な原色カラーで生き生きと描かれた絵にコンプレックスを感じなくていいし、素直に「いいね!」って思えるようになりました。
抑圧されて過ごした幼少期の分、今はだいぶはっちゃけて、気楽に生きられています。
駄目な大人の見本市みたいな人間ですが、生きてて楽しい。それが全てだと思います。

明日の予定

明日は午前中に病院です。
ちょっと体に不調があるので、診てもらうつもりです。
これだけ暑い日が続くと、どこかしら不調は出てくるものですけど、ちょっとこじらせつつあるので、早めに薬を出してもらいます。

イラスト練習は、桜……ですが、あまりに季節外れなので、ちょっと飛ばして次にいこうかなと思ったり。
どうするべきか迷い中です。