なぜ怒ると笑顔になってしまうのか

今日は久々に「心底理不尽だ!」と思うことがあり、それはそれはもう憤っているのですが、なぜか微笑みが浮かんでしまいます。
思い返すたびに、ニコニコしちゃう。これってどういうことなの?

そのテーマに入る前に、まずは絵日記です。
今日は、夕空というテーマでした。

絵日記

夕空
「夕空」
PhotoshopCS6 使用ブラシ:雲3、ソフト円ブラシ

「グラデーションエディター」を使ってみました。
グラデの色は、以前撮った写真から取りました。
画面が寂しいからと色々足したら、ありえない空の風景になりました。

ま、まあ、ファンタジーっぽいと思えば……。

雲を描くのが、まだまだ苦手です。
配置もスッと決まりません。
こういうのは数を描いて熟れるしかないんでしょうね。

と、いうわけで本題です。

怒り。もうまさにこれですよ。
思い出しただけで、腸の辺りが熱くうねり胃酸がこみ上げ口の中が苦い味でいっぱいになるというのに、なぜか顔には満面の笑みが浮かんでしまうのです。

「木立さんはなんで怒ると笑顔になるの?」と聞かれたことがあります。
自分がどんな顔をしていたのかは覚えていませんが、そう聞いてきた相手はたいそう訝しげで、不信感溢れる様子でした。

思えばそれが綻びの前兆だったのか……いやその話は今重要ではないのです。

なぜ、怒ると笑顔になるのか。
自分なりにその理由を考えてみました。
怒ってるのに笑っちゃうのは、自分でもちょっと不気味だと思うから……。

怒る者は常情なり。笑うものは測るべからず

故事成語には、「怒者常情。笑者不可測。」という言葉があるそうです。

「よくも貴様!」という場面で怒るのは常人、つまり普通の人です。
しかし、そんな時でも笑う人がいる。
普通の人が怒る場面で笑う人は大物か、策士であるから気をつけなさいということ。

果たして木立は大物なのか!? それとも策士なのか!?

まあ、実際はどちらでもないと思うんですねぇ。
これって、私の場合は、相手に自分の怒ってる姿を見せたくないんだと思います。
そして、自分自身も、怒りという感情を扱いたくないのです。

心底怒るくらいなら無意味に笑う方がマシというくらいに、怒ることが嫌いです。
怒ると、体力使いますしね。
それに、相手を罵倒した言葉は、いつか自分自身に返ってくる気がします。
汚く吐き捨てた言葉が、自分に降りかかるなんて、嫌じゃないですか。

「ぜんぜん怒ってないよー」とニコニコするのは、そういう場面を回避したいという強い気持ちの表れだと思います。
相手との関係を今この場で崩すつもりはない、という意思表示でもありますね。

「この場で争う気はないので、まずはゆっくり話し合おう、理由次第では許しちゃう☆」
てなもんです。
理由次第で本当に許します。

逆に「ほんま怒った! 絶対許さない!」とプンプンしてる時は、怒ってないんですよね。
これは「一応怒ったフリはしとこう」というポーズみたいな意味合いが強いです。
今後のために怒っておかないとマズいかなーくらいの時です。

いちいちこういうことを判断して怒るかどうか決めてるなら、それはある意味策士かもしれませんが、この一連の流れがほとんど自動で行われてしまうので、実は何の策もないという話です。

ものすごいことを企んでいるように見えても、木立の頭は空っぽですよ。
もしかして、大物でも策士でもなく、ただの馬鹿であるという可能性……。
まあ、馬鹿も突き抜ければ大物になります……かね?

話がまとまらないので、強引にまとめましょう。

怒ると笑顔になるのは、相手との関係を損ねたくないから!

おそらくこれに尽きます!
怒れば相手との関係に亀裂が走るかも知れません。
そんなめんどくさ大変な事態は避けたいだけなんです。

笑ってるから怖いとか、そんなことはないですよ。
誰だって怒らせたら怖いです。
笑ってると不気味さが増すのは確かですが。

できれば怒りたくないなぁ、この場を収めたいなぁという気持ちが笑顔になるのです。
余裕と言えば格好いいですけど、逃げであるのも確かなんですよね。
真正面からぶつかり合うなんて、とても体力がもたないし。

そんなことをこんなにつらつら書き連ねると言うことは、やっぱり相当怒っているんだなと思いました。
腹の虫が治まるまで、しばらくニコニコしてるしかないですね。

明日の予定

明日は朝から色々と外出の予定です。
時間があれば、夜空の練習をします。
ちまちま撮り貯めた満月の写真がいよいよ火を噴くかというところ。